なぜ日本の若者は海外に出るべきなのか? その3つの理由を日本の街に隠されたデザインから紐解く
2016年のスタートは、短い期間ではありましたが仕事がらみで日本へ行っていました。
そこで学んだのが日本の海外交流への取り組み。日本側の海外留学生の誘致、そして文部科学省が音頭をとって、2020年までに日本の大学生の海外留学12万人(現状6万人)、高校生の海外留学6万人(現状3万人)への倍増を目指して動き出しているそうです。
私が高校生の時、「真の国際人とは何か」について考えた事があるんですが、それをより深く考える様になったのは、私が実際に海外に行ってからでした。
今、なぜ若者は海外留学するべきなのか?という事について、まずは日本の街なかで見つけた3つのデザインをご紹介し、それらから得た気付きを織り交えてお話しします。
1. 交差点に設けられたスロープ
ばあちゃんが在命だった頃、ばあちゃんの車イスを街の中で押して回っていました。路面のデコボコが思いのほかに多く、大小の段差が行く手を阻みます。道路の路面もアスファルトによっては車イスを押しにくいし、ちょっとした登り下りの傾斜が力仕事だったりします。
上の写真では、交差点の縁石の段差がある箇所に車椅子用のスロープが設けられているのを見つけました。これがあれば車椅子で交差点に差し掛かっても「信号が変わる前に、安全に段差を越えなきゃ」という心理的なプレッシャーと物理的な労力から解放されます。
このスロープは新しく整備された交差点で見つけましたが、車イスの交通量が多い所には積極的に設置して欲しいですね。
2. 消火栓の看板に隠された取り付けのデザイン
海外のアニメファンが日本のアニメを見ていると、街なかの景色には灰色の巨大な棒が地面から生えていて、「一体これは何だ?」と不思議に思うそうです。その棒の正体は電柱なのですが、それを知らない人も世界には当然ながら存在するわけです。
オーストラリアでも田舎の方にいけば、木の電柱しかありませんし、首都であるキャンベラには電柱がありません。これは街全体を設計した時に、電線は全て地中に埋める方針で進めたからなんですね。なのでオーストラリア国民も、アニメで頻繁に登場する灰色の電柱は奇妙に映るのでしょう。
電柱に限らず、日本の街なかには、上の写真のような消火栓の看板が立っています。
この看板を間近でよく見てみると、 3箇所はボルトで締め付けられて、あと1カ所はチェーンでくくりつけられています。
高い場所に掲げてある鉄板の看板、これが万が一にでも落っこちて人の頭に当たったら大怪我をします。同時に三か所のボルトが緩んで外れると言うのは非常に考え難いですが、万が一外れてもチェーンで落ちるの防げる、というわけです。
小惑星探査機「はやぶさ」のデザインコンセプトで「こんなこともあろうかと」というものがありました。これが何かというと、あらゆる場面を想定して、1つのものがうまく機能しなかった場合、それを補う為の他の設計がなされているというものです。
以前にご紹介した電車の手すりのお話にも同様の思想が組み込まれていますね。
3. 二重手すりの秘密
東京の町なかを歩いてみると階段やスロープには手すりが二重になってかかっているところが多く見受けらたんですよ。
最初、これは背の高い人から背が低い人まで対応できる手すりにするため高い位置に一本、低い位置に一本、それぞれ設けられているのだと思いました。
実はそれだけではなくて、スロープに設けられている二重手すりは車イスを使う人にちょうどいい高さになっている、と老人ホームでお仕事をなさっている方に教えてもらいました。なるほど、上の写真は空港の搭乗タラップの通路で撮ったんですが、ここにも二重手すりがありました。
表面的に見えているものでも本当の意図や意義までは見えていないもんだな、と手すりに気付かされました。
で、なぜ日本の若者は海外に出るべきなの?
上に挙げた3つのデザインは、私が日本に住んでいたらきっと気付かなかったでしょう。なぜならそれらは私の日常風景に溶け込んでいたから。
海外に出るという事は、日常を根底からひっくり返してくれる手助けになります。そんな訳で若者が海外に出るべき理由を3つ、挙げていきます。
1.外からは自分を客観視しやすい
Dick Sijtsma via Visual hunt / CC BY-NC
東京に行った際、以前 住んでいた町も訪れたのですが、空地だった所に新しい建物やお店ができていたり、古いおうちがとり壊されて更地になっていたりという変化がありました。近所のコンビニでは何でも揃い、アマゾンで注文したものは次の日に届くという、メルボルンにはない便利さがありました。
それにも増して、以前に住んでいた時に見ていたものが却って新鮮に映り、今まで全く気付かなかったものが目に入って来るようになりました。
自分の周りが自分を評価する基準とするならば、海外の異なる環境に身を置くと異なる基準で自分の再評価ができます。そこで今までは全く気付かなかった自分のポテンシャルや得意な事、置かれている状況、ひるがえって本当は認めたくない自分の嫌な部分でさえありありと見えて来ます。それまでとは違った測り方で自分の棚卸しができる、というわけです。
2.価値観を崩壊させる
remuz via Visualhunt / CC BY-NC-SA
オーストラリアで初めてホームステイをした時、ホストマザーが初対面でハグしてくれたんですが、不慮の事態だった事もあり私はギュッっと身を縮込ませて硬い表情で棒立ちしてしまいました。あとから考えたら失礼な事したな~と反省。でもそれ以降はハグをして、頬をくっつける習慣にも徐々に慣れていきました。
異なる文化に接すれば、全ての事を違ったやり方で進める可能性もあるわけで、そこで生きてゆくにはそれまで堅持してきた価値観を手放してしなやかに生きていく必要があります。
あ、今ではハグも得意になりました、ハイ。
3.「当たり前」に気付く
Bernard Gagnon CC 表示-継承 3.0
マダガスカルにあるバオバブの森林。奇妙な形をした巨木があちこちに生えています。初めてこの地を訪れた西欧人が、現地民の案内人に連れられてこれらの木を見た時に激しく感動したそうです。そんなエキサイトしまくっている西欧人を脇目に、現地民の案内人は「普通の木なのに何をそんなに感激しているんだ?」と不思議な顔をしていた、というエピソードがあります。
この話から窺えるのは、自分が住んでいる場所は、その全てが「当たり前」になってしまう危険性をはらんでいるという事。
海外に出るという事はその当たり前を覆してくれる様な場面に数多く出会うチャンスがあります。実はその「当たり前」は他の国や文化からみれば素晴らしい事だったりもするんですけど、もとからの生活にドップリ漬かっているとその存在にすら気付かない事があります。
まとめ
もしも海外へ行ってみようか迷っているのでしたら短期間の近場で構いませんので、まず一歩を踏み出してみましょう。きっと何かを得られるはずです。そこから先はみなさんにとってより良い未来が待っていますよ。
- 自分を客観視
- 価値観の崩壊
- 「当たり前」の再認識
上の3つの事に取り組めたなら、自分の置かれている立ち位置から更に視野を広げ、より豊かな人生にしてゆく事ができます。そしてそのカギとなるのが海外へ出るという事。インパクトの大きさは心理的、言語的、文化的な距離の遠さに比例します。
というわけで若者のみなさん、そしてハートが若者のみなさんも最初の一歩を踏み出して海外へ出てみましょう!
したらね!